「わかる」をわかるために「わかるとはどういうことか」を読んだ。
所感
最近占い、おみくじ代わりに「Kindle日替わりセール」を見るのだがそこでみつけた一冊。 安くなってるし読んでみるか!と読んでみたら思いの外よかった。
本屋さんでブラブラしているともっとこういう出会いもあるのかもしれない。
ふだんなんとなく思っていたことを言語化してもらった感じがしてよかった。
着地点としては「まあそうだよね」となるところが多いかもしれないが、過程に多くの学びがあった。
洋書にありがちな「著者の持論を裏付けるほんとにいるのかわからないAさんの実体験」みたいなのもほぼなくサクサク読める。
そのかわりに実例があるときは「脳の特定の言語機能へダメージがあるとできなくなるからやっぱりそうだよね」みたいなことがさらっと出てきてヒエッとなる…。
どんな本なのか
人は、どんなときに「あ、わかった」「わけがわからない」「腑に落ちた!」などと感じるのだろうか。また「わかった」途端に快感が生じたりする。そのとき、脳ではなにが起こっているのか―脳の高次機能障害の臨床医である著者が、自身の経験(心像・知識・記憶)を総動員して、ヒトの認識のメカニズムを解き明かす。
この本は「わかった」「腑に落ちた」はどんなときに、どのように発生するのかを解き明かす本だ。
著者の山鳥 重(ヤマドリ アツシ)氏は脳科学者。
専門は、神経心理学、失語症・記憶障害などの高次脳機能障害とのことで、本著の中でも「脳の機能が一部欠落するとどう”わからなくなる”のか」というような視点も多数記載されている。
とはいえ、「脳はXXXをYYY部位が司っており…」「わかるとは脳のXXXの部位が反応して…」のような脳科学的な話はほとんどなく、著者の解釈・持論から少しずつ「わかる」のメカニズムが導出されていく。
なぜ読もうと思ったのか
プログラムを書いたり本を読んだりしている中で「完全に理解した」「何もわからん」を繰り返している(残念ながら「チョットワカル」になったことはあまりない)。
では実際「わかる」「理解する」とはどういうことなのか?Kindleの本日のセールを眺めていたらちょうど本著が出ていたので試しに買ってみた。
「わかる」のメカニズムを知ることができれば、「わかる」の確率を上げたり、「わかる」までの時間を短縮できるのではないかという打算もあった。
読んでわかったこと
読んでいてなるほどなと思ったところを抜粋していく。
思考の基となる心象
人の心の働きは「感情」と「思考」に分けることができる。
そして、「思考」は「心象」を組み立ててできあがる。心象は心理的イメージ。
あくまでその人の目を通して観えた、あるいは記憶された情報。客観的事実ではない。
そして心象はふたつの心象に分けられる。
心像にはこのように、今・現在自分のまわりに起こっていることを知覚し続けている心像と、その知覚を支えるために動員される、すでに心に溜め込まれている心像の二種類があります。五感に入ってくる心像(区別された対象の心像)と、その心像が何であるかを判断するための心像(心が所有している心像)です。前者を知覚心像、後者を記憶心像と呼ぶことにします。知覚はまわりに生起する現象(客観的世界の出来事)を取り込み、その現象を心像という形式に再構成します。ここは大事な点です。事実がそのまま、たとえばよく磨きぬかれた鏡に映るように、心に映し出されるということはないのです。
山鳥重. 「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.316-322). Kindle 版.
心象の概念は「万人が自分のレンズを通して世界をみている」という考え方とも一致する。
結局のところ、「知る」という行為は、その人の独自の「レンズ」を通して世界をとらえるということです。ひとつひとつのレンズは、その持ち主の感性にもとづいています。また、ひとつひとつのレンズは、その持ち主が生きている時代や社会の文化的・文明的な条件の影響の下に形成されています。世界のどこにも「これこそがいっさいの偏見を排して世界を完全にありのままにとらえている」といえるようなレンズはないのです。
鈴木 規夫. インテグラル・シンキング 統合的思考のためのフレームワーク (Japanese Edition) (Kindle の位置No.287-291). コスモスライブラリー. Kindle 版.
心象に対して命名付けをする
記憶はとらえにくい。目の前で起きている事象は変化し続ける。
人は心象に名前をつけることで心象を安定させる。生まれたときからの経験でみんなが持っている心象は約束事。
「テ」という音が手であることは日本人共通の認識。日本国内では「ハンド」という音が手であることは共通認識と言ってはいけないのかも知れない。
相手が同じ記憶心象を持っていないと音や文字といった記号でやりとりするのは難しい。この逆が暗黙知や忖度だろう。
一方で人間は「ニュアンス」「文脈」も理解できる。「手を振って」と言われたときの「手」は「肩、あるいは肘より先」だが、「手のひら」となると、手首より先が手である。
意味記憶
個々の出来事から共通部分を抜き出し、概念を組み立てるのが意味記憶となる。
繰り返しの中から生まれる記憶。抽象化された記憶といってもいいのかもしれない。
ある人物の髪の毛が薄くなったり背が伸びたりシワができても「父」、「中学校の同級生A」と認識できるのは、意味記憶を持てるからである。
言語(文法)の習得や数式の適用もこれに含まれる。
このような心象、意味記憶を持ち合わせることで人は「わかる」ことができる。
「わかる」のいろいろ
「わかる」にはいくつか種類がある。
- 時間や場所がわかる
- 大局観で大枠がわかる
- 分類/区別/命名付けすることでわかる
- 筋道を建てることでわかる
- からくりがわかる
- 直感的にわかる
- 置き換えることでわかる
たとえば、人は分類し区別することで「わかった」と思える。
日本では虹は一般に7色だが、もっと色が少ないあるいは多い文化もある。
色彩感覚の優れた人がみれば「3色」あるとわかることも私がみたら「青1色」かもしれない。あるいは私の聞いたことがない色の名前があるのかもしれない。
「違う色」であると区別してはじめて「わかる」ことができる。
難しいことを比喩を使って理解する「置き換え」などもわりとよくある「わかる」かなと思った。
「わからない」とはどういうことか
逆に「わからない」ということがわからないと「わかる」ための作業が始められない。
「わからない」ためには自分の中に「網の目」が必要になる。知識がないと「わからない」ことに気づけない。
ソムリエを目指す人はワインを飲むときどんな味が含まれているのかわかろうとするだろう。私はワインを飲んでも「渋い」「甘い」程度しかわからない。
そもそもワインに「黒コショウ」「ピーマン」「煙草」といった香りが含まれていることがわからない。
「わかった」?
きちんとわかったのかどうか、それは噛み砕けているかどうかで判断できる。
きちんとわかったのか、わかったと思っただけなのかは、一度その内容を自分の言葉で説明(表現)してみると、たちまちはっきりします。表現するためには正確にわかっている必要があるのです。ぼんやりとしかわかっていないことは、自分の言葉には出来ません。説明しているうちになんだかあやふやになってしまいます。あるいはごまかしてしまいます。わかったように思っただけで、実はたいしてわかっていなかったことがわかります。それに対して、ちゃんとわかっていることがらは自分の言葉で説明することが出来ます。
山鳥重. 「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2167-2172). Kindle 版.
どんな意味も、それぞれの水準で大きな意味と小さな意味を含んでいます。そのそれぞれの水準で、まず大きな意味を理解することが必要です。小さな意味が理解出来ても、大きな意味が理解出来なければ、行動の役には立たないのです。
山鳥重. 「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2342-2344). Kindle 版.
自分の言葉でブログを書いたりサンプルコードを書いていじったりするのも「わかった」かどうかの確認かなと思った。
自発性をもって「わかる」
同じ「わかる」でも能動的に理解し、新しい気付きを得る「わかる」ことに価値がある。
単に情報を得るだけでなく、自分で知識を組み立て体系化することで「わからない」を「わかる」に変えていく行動が必要。
人間は生物です。生物の特徴は生きることです。それも自分で生き抜くことです。知識も同じで、よくわかるためには自分でわかる必要があります。自分でわからないところを見つけ、自分でわかるようにならなければなりません。自発性という色がつかないと、わかっているように見えても、借り物にすぎません。実地の役には立たないことが多いのです。
山鳥重. 「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2065-2068). Kindle 版.
学校で教わるタイプの理解を重ね合わせ的理解と呼ぶなら、自分で仮説を立ててゆくしかないタイプの理解は発見的理解と呼ぶことが出来ます。われわれはこのふたつのわかり方を駆使して、社会に立ち向かっています。しかし、行動に本当に必要なのは後者であることは説明の必要もないでしょう。社会で生きてゆく、自然の中で生きてゆく、というのはその時その時、新しい発見、新しい仮説を必要とします。
山鳥重. 「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2494-2498). Kindle 版.
今後どう活かすのか
(結果としてはありきたりかもしれないが、)自分で説明できるまで噛み砕けているか、「わかる」ためには何が必要なのかだいぶ言語化された。
技術的なことや英語の勉強で「わかった」か「わからない」が残っていないか整理するために活用していきたい。
語学の勉強で多読が必要なのも、一文一文が読めるかではなく、定義や法則を汎化、抽象化するためにより多くのインプットが必要なのだと整理できた。
とはいえこの書評もやや言語化に失敗したなと思うところがあるので、まだ「わかっていない」のかもしれない。
また、読んでいて「教養」って大事だなと思った。「わからない」ことに気づくためには「教養」や「知識」という網の目、引き出しが必要になる。
最近もNetflixで見た攻殻機動隊にメタファーがあったことを知った。教養がないのでまったく気づかなかった(ただ、記事の冒頭の作品紹介はおかしい気もする)。
仕事でも日常に「わからない」「違和感」を見つけるために広い知識を身に着けていきたい。当面は読書と手を動かすことで網の目を増やしていきたい。