他者とよい関係を気づきながらモノゴトや困難に立ち向かっていくために読んだ。
所感
組織やコミュニティで生きていく中でどのように他者と協調していくのか、それを通して自分自身の視野をどう更新していくのかがわかった。
「他者にどのように自分の意見をわかってもらうか?」というより「どうすれば相手の言い分を理解できるのか?」という点に終始しているのがよかった。
自分は公私未熟な人間なので、他者を理解する行為を通じて少しでも視野や意識を広げていけたらと思う。
どんな本なのか
https://www.amazon.co.jp/dp/B07Y5FF3M4
Amazonの書籍紹介より引用。
内容
現場で起きる「わかりあえなさ」から始まる諸問題は、ノウハウで一方的に解決できるものではありません。
その「適応課題」と呼ばれる複雑で厄介な組織の問題をいかに解くか。それが本書でお伝えする「対話(dialogue)」です。
対話とはコミュニケーションの方法ではありません。
論破するでもなく、忖度するでもなく、相手の「ナラティヴ(narrative)」に入り込み、新しい関係性を構築すること。
それこそが、立場や権限を問わず、新たな次元のリソースを掘り出して、組織を動かす現実的で効果的な方法なのです。
なぜ読もうと思ったのか
私はプログラマであるが最近チームメンバーも多くなりコードやドキュメントなりをいろいろな状況で指摘しあうことも増えてきた。また、業務では関連部署・ステークホルダーとの仕様調整なども必要である。 私は結構「正論しか言わない」タイプの人間なので、もっとなめらかに他人と働くために必要な知識は得られないかと本書を手にとった。
読んでわかったこと
書籍で挙がっていたキーワードを整理しておく。
技術的問題と適応課題
問題は2種類に定義することができる。
- 「技術的問題」(technical problem)
- 既存の方法で解決できる問題
- 「適応課題」(adaptive challenge)
- 既存の方法で一方的に解決ができない複雑で困難な問題
技術的問題は「やれば終わる」問題だ。厄介なのは適応課題のほうで部署間の対立などこれといった解決策が見つからず「落としどころ」が必要になる問題のこと。
適応課題の種類
適応課題とは一体何でしょうか。ハイフェッツたちは、適応課題には4つの種類があると述べています。 これら4つのタイプに共通する点は、どれもが既存の技法や個人の技量だけで解決できない問題であり、もっと言えば、 人と人、組織と組織の「関係性」の中で生じている問題 だということです。
- 「ギャップ型」
- 大切にしている「価値観」と実際の「行動」にギャップが生じるケース
- 男女の対等な社会参画という長期的なゴールのために、短期的な合理性をある程度犠牲にする必要が出てくるというギャップが生じています。実際にこのギャップを埋めるために行動を変えようとすることは、それなりに複雑で厄介な問題であると言えるでしょう
- 「対立型」
- 互いの「コミットメント」が対立するケース。組織の中での対立はお互いの正義がある
- 「抑圧型」
- 「言いにくいことを言わない」ケース
- 何かを言うことが難しい関係だったり、言ってしまうと厄介なことに巻き込まれて損をするようなことがあるために、抑圧された状態
- 「回避型」
- 痛みや恐れを伴う本質的な問題を回避するために、逃げたり別の行動にすり替えたりする
「私とそれ」「私とあなた」
他者との関係性もまた2種類に大別できる。
- 私とそれ
- 自動販売機を使っているような、相手の人格を意図的に無視した関わり方
- 私とあなた
- お互いに意思が’あるとことを前提にした関わり方
対話について重要な概念を提示した、哲学者のマルティン・ブーバーは、人間同士の関係性を大きく2つに分類しました。 ひとつは「私とそれ」 の関係性であり、もうひとつは「私とあなた」 の関係性です。 人間性とは別のところで道具としての効率性を重視した関係を築くことで、スムーズな会社の運営や仕事の連携ができます。逆に期待していた機能や役割をこなせなければ、信用をなくしたり、配置換えにあったり、解雇されたりします。これ自体は悪いことではありません。そのように私たちは社会を営んできました。これが、「私とそれ」の関係性です。
ナラティブと対話
「私とあなた」の関係になり、適応課題を克服するためのアプローチとして、お互いのナラティブの溝を知りそれを埋める方法が提案されていた。
- 「ナラティヴ(narrative)」
- 物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のこと
それはナラティヴです。「ナラティヴ(narrative)」とは物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のこと です。物語といっても、いわゆる起承転結のストーリーとは少し違います。 ポイントは、どちらかのナラティヴが正しいということではなく、それぞれの立場におけるナラティヴがあるということです。
つまり、ナラティヴとは、視点の違いにとどまらず、その人たちが置かれている環境における「一般常識」 のようなものなのです。 こちらのナラティヴとあちらのナラティヴに溝があることを見つけて、言わば「溝に橋を架けていくこと」が対話なのです。
ナラティヴ・アプローチは、ナラティヴという言葉から連想されるように「どう相手に話をするか」ということよりも、むしろ、「どう相手を捉える私の物語を対話に向けていくか」を主軸にしたものと言えます。
「対話」とは、一方的な技術だけでは歯が立たない「適応課題」を解消していくための方法であり、「新しい関係性を築くこと」であるとお伝えしました。 対話に取り組むことによってこそ、互いの「ナラティヴ」の溝に向き合いながら、お手上げに思えるような厄介な状況も乗り越えていくことができるのです。
同じ事象に対しても人は立場の違いで感じることが大きく異なる。そのギャップを埋めお互いで歩み寄る方法を模索する。
ナラティブを意識した対話のアプローチ
対話は大きく分けて4つのステップを踏む。各ステップは準備→観察→解釈→介入となる。
- 準備:相手を問題のある存在ではなく、別のナラティヴの中で意味のある存在として認める
- 観察:関わる相手の背後にある課題が何かをよく知る
- 解釈:相手にとって意味のある取り組みは何かを考える
- 介入:相手の見えていない問題に取り組み、かゆいところに手が届く存在になる
相手のナラティヴにおいても意味があるようにするにはどうしたらよいのかを考える必要があり、これこそが解釈なのです。
必要なのは「相手から自分に歩み寄ってもらう」ことではなく、自分が「どう相手の気持ちを理解するか?」につきる。
対話とは
対話は不要な対立を避けるための行動です。戦えば必ず勝者と敗者が出ます。戦って相手を倒すことを目指すのではなく、戦わないこと、いかにして敵を味方にしていくことができるかにあらゆる能力を用いていくことす
対話は争わず協力して歩むことが目的になる。
対話の先にあるもの
対話によって自らの価値観を更新し、視野を広げていく。関わる多くの他者とのギャップから自らを更新していくことは私自身を磨くことにもつながるしより遠くの目的地を見つけるための視座にもつながる。
ひとつの橋がかかることは、単に少し先に進めるようになったというだけのことではないのです。自分が立っている状況を自ら変えたことで視野に入ってくるものが変化して、次の目指すべきところが見えてきたということです。
他者を道具としてではなく、替えの利かない他ならぬ存在として捉え直していくことは、あなた自身に他ならぬ存在へと命を吹き込むことでもあるのです。自分の違和感を大切にしていくことは、他者を助けるだけでなく、あなた自身を助けることでもあるのです。 連帯とは、不愉快なことを言ったり都合の悪いことをしてくるようなわかりあえない他人と思うような人であったとしても、自分がその他人であったならば、同じように振る舞ったり、感じるかもしれないという可能性を受け入れることです。つまり、自分と他人との間につながりを見出していくことが連帯であると言えます。
今後どう活かすのか
読む前からなるべく「コンテキストやバックグラウンドの違いを意識してコミュニケーションを取る」つもりはあったが、今後はもっと意識していこうと思った。
また、ただその瞬間に意識するのではなく、「準備」や「観察」も行おうと思った。少しずる賢い気もするが、なめらかな人間関係や仕事運びには必要な作業そうだ。
一方でこれは本の内容にはまったく関係ないのだがコロナ禍・withコロナでリモートワークが増えている今日、「観察」をするのもなかなか難しいなと思った(チャットの向こうの相手は体調が悪かったり機嫌がわるいかもしれない)。